新美術館に行った。
ミュシャと草間彌生。
このような大混雑必至の企画を同時期に開くなど、正気の沙汰とは思えないが仕方ない。
中は、果たして混んでいた。
ロビーに蠢く人波を見るだけで、帰りたくなる。
そう思いはしたが、会場に入ってみる。
まずはミュシャ。
評判通り、大きい。
とにかく、大きいという感想しかない。
これまでにもミュシャのタブローを見る機会があったが、
中間色ばかりで攻めているからか、人物はのっぺりと見えて、まるで舞台の書き割りである。
今回は見上げるほど大きな絵ばかり揃っていたから、尚のこと書き割りだった。
というわけで、ミュシャの書き割りマイスターぶりを見るにはこの上ない機会であった。
もうこれらの大作と再会することはないだろう。
次に彌生。
大きな絵がいっぱいある。
最初の部屋に入ったときのこの感じ、つい最近体験したように思うのだが気のせいか。
近作は正直あまり関心がないので、さっと流し見る。
それより気になるのは、嬉々として撮影に興じる群衆である。
まるで動物園のパンダの檻だ。
それはさておき、メインと考えていたのは後半である。
実際、初期から時代を追って、充実した作品が並んでいた。
しかし、何か物足りない。
時代順のはずなのに、部屋ごとの連関がほとんど見えなかったのである。
同じ系統の作品を小部屋に押し込んで、ハイ、次の部屋といった具合で、実に見づらい。
最初の部屋が大きすぎて、残りが随分狭かったということもある。
回廊状の展示室の中にストーリーが感じられず、何とも勿体無い気がした。
どちらの展覧会からも得た印象は、最初の部屋にパワーが集まりすぎて、
残りの部屋が乱雑ということだった。
ミュシャの方も、スラブ叙事詩の後はバラバラと色々な作品が集まっていて、集中できない。
後半、バッサリ切ってもよかったんじゃないかと思うくらい。
このように書いている時点で、私のような者が見に行く資格はなかったかもしれないが、
これらの展覧会を強力に宣伝するメディアや、そこへ便乗する美術雑誌のせいにしておく。