どす黒い日記帳

展覧会の感想など(主に都内)

#1 ミュシャ彌生

新美術館に行った。
ミュシャ草間彌生
このような大混雑必至の企画を同時期に開くなど、正気の沙汰とは思えないが仕方ない。

中は、果たして混んでいた。
ロビーに蠢く人波を見るだけで、帰りたくなる。

そう思いはしたが、会場に入ってみる。
まずはミュシャ
評判通り、大きい。
とにかく、大きいという感想しかない。

これまでにもミュシャのタブローを見る機会があったが、
中間色ばかりで攻めているからか、人物はのっぺりと見えて、まるで舞台の書き割りである。
今回は見上げるほど大きな絵ばかり揃っていたから、尚のこと書き割りだった。
というわけで、ミュシャの書き割りマイスターぶりを見るにはこの上ない機会であった。
もうこれらの大作と再会することはないだろう。

次に彌生。
大きな絵がいっぱいある。
最初の部屋に入ったときのこの感じ、つい最近体験したように思うのだが気のせいか。

近作は正直あまり関心がないので、さっと流し見る。
それより気になるのは、嬉々として撮影に興じる群衆である。
まるで動物園のパンダの檻だ。

それはさておき、メインと考えていたのは後半である。
実際、初期から時代を追って、充実した作品が並んでいた。
しかし、何か物足りない。

時代順のはずなのに、部屋ごとの連関がほとんど見えなかったのである。
同じ系統の作品を小部屋に押し込んで、ハイ、次の部屋といった具合で、実に見づらい。
最初の部屋が大きすぎて、残りが随分狭かったということもある。
回廊状の展示室の中にストーリーが感じられず、何とも勿体無い気がした。

どちらの展覧会からも得た印象は、最初の部屋にパワーが集まりすぎて、
残りの部屋が乱雑ということだった。
ミュシャの方も、スラブ叙事詩の後はバラバラと色々な作品が集まっていて、集中できない。
後半、バッサリ切ってもよかったんじゃないかと思うくらい。

このように書いている時点で、私のような者が見に行く資格はなかったかもしれないが、
これらの展覧会を強力に宣伝するメディアや、そこへ便乗する美術雑誌のせいにしておく。