京都の近代美術館。
ちょうどいいタイミングで京都にいたので行ってきた。
60周年という節目の展示をやっており、招待客の先生方が内乱で盛り上がっていたらしいのを
偶然知ってからの訪問だったが、平日ということもあってか驚くほど静かだった。
今日のポンテンコラリーアート受容への道筋をつけた展覧会の要約的な内容だったので、
展示物の既視感は相当強い。(ポスターのデザインを見た時点で、ある程度内容の想像はつく)
既視感が強いのは「見たことがある作品」だからではなく、
同じ傾向の作品があまりに多い作品の多さにあるのだが、
個人的に面白かったのは、あの巨大なアルミ製の耳が横になっていたことである。
テープでバミったようなスペースに床置きとは、このような展示をする意味について
何か訊かれているような、試されているように気にもなり、やや落ち着かなかった。
それは兎も角、このように今から見れば近代と現代のはざまにある過渡期的な時代の展示を
美術館の過去の収集を活かして再演する展示は、コンスタントに見る機会があってほしい。
通りを挟んだ向かいの美術館にも行ってきた。
改めて、本当に大きい。広い。
企画展だけで3件。それとコレクション展、他にも色々あったが、さすがに全部を見る余裕はない。
意外だったのは、館内には多くの人が出入りしているにも関わらず、
本命かと思われたローランサンの会場があまりにゆったりしていたことである。
その一方で、非常に混雑した展覧会もあったが、これについては触れない。
それより非常にもったいないのは、コレクション展である。
このエリアに入るのは初めてだったが(前に訪れた時は閉まっていた)、
充実した内容であるのに、本当に人が少ない。
多くの美術館は、企画展のチケットを買えば常設展も見られるようになっているが、
この美術館ではコレクション展も別料金(それも、なかなかの料金)なので、
これでは「集客」など望みようもない。
公立なのに、その基盤となるはずの常設展のハードルが高いのは、あまりに厳しい。
せっかく良いものが揃って、良い空間に並べられても、
そこへ行くまでの道程が整備されていないことには仕方がない。
一見さんお断りの隠れ家的な料亭なら兎も角、
こうして(物理的にも)公に開かれた食堂ならば、もう少しふらっと入れる気遣いがほしい。
というのは、今となってはもはや時代遅れの考えなのかもしれない。