好きな作家の展覧会であっても、
タイトルに引っかかる所があって興味が持てないことがある。
至る所で一つ覚えのように奇想奇想と騒ぎ立てるようになって何年経ったか分からないが、
親しみを持たせようとする思いが行き過ぎた、見るも無残なタイトルやコピーを目にすることは、増えているような気もする。
これ程に勢いが先走った中身のないワードには、そうそう出会えるものではない。
何を思えば、このような結論に至るのだろう。
これを見た瞬間、テンションはミニマムである。
いつもなら、この時点でスルーするのだが、それでも画家への思いが勝った。
実際に行ってみた。
多くを述べることは見送りたい。
確かに大きい絵が多かった。迫力もあった。
でも、非常に物足りない。
問題は、会場にあった。
絵が大きすぎて、狭い会場がますます狭くなっていた。
狭いから、十分に退いて見ることもできない。とにかく窮屈だ。
「超ド級」という単語が、虚しく脳内にリフレインする。
解説も、満足できるものでなかった。
というか、「超ド級」を謳っていながら解説はあまりに普通だった。
そこはあくまで古典的だった。
そのようなわけで、消化不良で胃がもたれた。
タイトルがあそこまでひどくなければ、ここまでは思わなかったかもしれないが。
せめて、看板やパネルを全部赤くするとか、
解説で「この画面構成力がパネエ」とか「花が吹っ飛んでてウケる」などと、
「超ド級」とのたまうメンタリティを貫く配慮、心意気があったならと、残念に思う。