今日はベタに上野だった。
主な目的は藝大だった。
「みんな、オラに力を分けてくれ」な感じの呂洞賓がまもなく公開終了だというので、これはいけないと思った。
ひそかに気になっていた雪村展。
「「ゆきむら」ではなく「せっそん」です」というふざけたコピーも、いかにも上野イズムで、ここまで来ると職人的矜持さえ見えて感慨を覚える。
曰く、雪村は、今をときめく奇想の走りらしい。
安易な奇想便乗商法は滅びよと常々祈っているが、ルーツならば、無理に他の言葉を使うのもと思った。
序盤から絵に引き込まれる。
奇想というと大胆で豪快とか、執拗に細密というイメージを抱くが、そのどちらというわけでもない。
ただ、岩石や衣紋の筆致の速さや、米粒ほどの人物をいちいち描いてしまうねちっこさは、とてもよかった。
何より、呂洞賓のおじさんはもとより、鷹にまで鼻毛を生やしてしまう、戦国の鼻毛フェチとしての誇りに心打たれた。
総じて満足であったが、照明はやや残念。
全体的に暗いのは仕方ないとして、上から下へいくほど暗いというムラが気になる。映り込みも結構しんどい。
ともあれ、前期に駆け込んだことはよかった。
ついでに、保存修復彫刻研究室の発表展やってた。
午後、科博に行く。
今にして思えば、何故この順序にしたのか。
2、3年に一度、上野あたりで開かれている名品展の延長のつもりで足を踏み入れた。
実際に見ると、序盤はあまりに見世物小屋だった。
科博はいつもこうなのだろうか。久しぶりすぎてわからないけど。
時代も資料の種別も関係なく並ぶ、キャッチーな標本や資料。
キリンの首とか、地味にぐろい。
ここまで露骨な趣向は今時珍しいのではと、そういう意味で感動した。
しかし、中盤から突如として、大英自然博の歴代スタッフや関係の学者などの名前が現れ始め、その功績とともに関連資料が並ぶという教育的な展示に移行する。
とはいっても、たった数点ずつの資料で、ずらっと並ぶ面々に思いを致せというのも酷であるし、絶滅種の標本を並べて生物多様性を訴えるとか、あまりに(狭い意味で)教科書的で相当無理がある。
本音はやっぱり、「変なの珍しいの可愛いのいっぱい集めたから見て」という無邪気な見せびらかしのはずだと思いたくなる。
そして藝大美術館の時も思ったが、展示ケースがきたない。